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令和初の天皇陛下一般参賀で菱形の家紋、武田菱が写っていた理由

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武田菱を使っているのではなく、もともと割菱紋を武田家が使ったのが有名になっただけ

今日は令和になって初めての天皇陛下の一般参賀でした。テレビで見た方も多いと思います。

昭和から平成に変わったときに比べると日本中がお祝いムードですし、なんだか晴れやかで良いですね。

このニュースを見ていて「あれ?」と思った方が戦国時代好きな人に多かったのではないでしょうか。

「天皇陛下の後ろに写っているの、それ武田菱なんじゃないの?なんで天皇家が武田菱???」と。

せっかくなのでこの話を書いてみることにします。

武田菱とは?割菱紋とは?

武田菱というのは戦国時代に武田信玄が使ったことで有名になった家紋の一つです。本当の名前は割菱紋(わりびしもん)といいます。

厳密に言うと割菱紋は菱を区切っている白い部分が太め、武田菱は細めになっているという区別があるらしいのですが、普通の人にはわかりにくいですよね。

左側が割菱紋、右が武田菱です。

これがなぜ一般参賀のときに写ったかを次に説明することにします。

武田家は清和源氏が源流の武家

武田信玄が使っていたことで有名な武田菱ですが、これはもともと武田家に伝わっていた家紋です。武田家を遡るとなんと清和源氏、つまり天皇家につながるわけです。

清和天皇を祖とする清和源氏は清和天皇の第六王子の経基王が源経基と名乗って臣籍降下したことから始まります。

その源経基の長男、源満仲の三男の源頼信が河内源氏の祖と呼ばれるのですが、その長男源頼義が鎧につけていたのがこの割菱紋だったといわれています。そしてこの頼義の三男義光が甲斐源氏の祖。

この義光のひ孫にあたる信義が住んでいた地名の武田を性にし、武田家の祖となり武田信玄に繋がっていきます。

そう、武田家の家紋は天皇家の血筋から引き継がれてきたものなのです。

天皇家の家紋はいろいろある

天皇家の家紋として菊紋や桐紋が有名ですが、実はこの割菱紋も天皇家に伝わる家紋の一つです。

著作権でひっかかるので直接掲載できませんが、正倉院につたわる「沈香木画箱 第12号」などはまさに菱形を文様に使っています。

沈香木画箱 第12号(宮内庁ホームページより)

菱形は単純な図柄ではありますが左右均等でバランスが良く、美しいことから天皇家、公家を始め多くの家が家紋として菱紋(菱形)を使ったと言われています。

菊紋や桐紋とはちがうシンプルさから公式な一般参賀のときの後ろに模様として御翠簾に使われたのだと思います。

まとめ

こういった事情がわからずテレビで御簾を見てしまうと「天皇家が武田菱だ!」となるのですが、実際はこのような歴史があってあの場に割菱紋が使われていたわけです。

多くの群雄が割拠した戦国時代には家紋が旗として使われたこともあり、割菱紋=武田菱こそが武田家の家紋だという認識が広がったのだということです。

そんな興味を持ちながらいろいろなことを調べていると面白い発見ができると思います。

ちなみに、私の家の家紋はよくあるタイプのものですが、ご先祖さまは平家の落ち武者が京都の北部に流れ着いたのが発祥とか。その戦いで「争いは良くない」と思ってくださったのでしょうか、この時代まで家系は絶えること無く続いています。ありがたいことです。

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