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藤原道長の「望月の歌」から1000年の十六夜を眺めよう

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満月が欠けていないのと同じように私の栄華も、といいながら

今日は2018年の10月24日、明日は25日です。ここで月齢表を見てみましょう。

月齢カレンダー が便利です。

夕方東の方にあがった月をみて満月かなと思って月齢カレンダーを見てみたのですが、明日が満月のようですね。今日は十五夜で明日が十六夜。

秋の「十五夜」が有名なので必ず十五夜が満月なのかと思いきや、月は地球に対して楕円軌道を取るため月齢と満月は微妙にずれがあります。

2018年の10月は24日が十五夜、あす25日が十六夜で満月ということになるようです。

十六夜と書いて「いざよい」

十六夜と書いて「いざよい」と読むのですがこれがまた風流なんです。

いざよう、という古典の動詞があるのですが、これは「猶予う」と書き、躊躇するとかためらうという意味を表すのです。

月というのは毎日50分づつ遅れて出てくるらしいのですが、十五夜の満月にくらべて十六夜は50分ほど「ためらいがちに」出てくるから「いざよいの月」と呼ぶそうです。

そんな十六夜の月を1000年前に眺めながら歌を詠んだ人がいました。藤原道長です。

自分の栄華を満月になぞらえた藤原道長

歴史の授業で習ったと思う1首です。

「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」

この世はすべて私のためにあるようなものだ。満月に欠けているところがないように。などと訳される栄華を誇る歌です。

これは1000年前、1018年(寛仁2年)の10月16日(旧暦の十六夜)に詠まれたのだとか。

ちょうどこの日は道長の三女威子(いし)が後一条天皇の女御から中宮になったことを祝う祝宴で、秋の夜に浮かぶ満月と娘たちを次々に天皇家に嫁がせて盤石の体制を作り上げた自らの栄華を歌として詠んだとされています。

欠けるところのない満月と、自らの栄華を重ね合わせるなんて素敵とは思うのですが。

確かにこのとき、長女の彰子(しょうし)は一条天皇の皇后として二人の男の子を生み、それぞれ後一条天皇と後朱雀天皇になるのですが、それぞれにまた自らの娘(後一条天皇に威子、後朱雀天皇に嬉子)を嫁がせることでいわゆる一家三立后(いっかさんりつこう)をなしとげたのですから、栄華は盤石のものと言えますよね。

道長は天皇の義父となり、天皇のおじいさんになるわけですから。さらに年若い天皇を支える「摂政」として政治をわがものにしたわけですね。

彰子がのちに天皇となる子供を生んだときのはしゃぎっぷりは彰子に仕えていた女性によって紹介されましたが、それが紫式部の「紫式部日記」だったりします。紫式部は彰子に仕えた女官であり、他にも赤染衛門や和泉式部、伊勢大輔といったそうそうたるメンバーが揃ったのでした。

彰子のもとになぜそんなに有名な歌人、物語の作者が揃ったか。それは彰子が天皇家に嫁ぐにふさわしいほどの知識教養がなかったからとされています。屏風に描かれた歌すら読むことが出来なかったとか。でもそれゆえに集められた女性たちが切磋琢磨することで優れた作品や歌ができたというのは面白いことですよね。

余談ですが源氏物語の主人公、光源氏のモデルは藤原道長という説もありますが実際はどうなのでしょう。紫式部は本名が藤原香子で藤原北家の嫡流、藤原為時の娘なので、藤原家を敗者とする源氏物語というのはちょっとおかしいなと思う部分もあったりします。

さて、脱線はここまでにして・・・

月も道長も満ち欠けするものだった

こんな栄華を極めた歌を詠んだ藤原道長さんはすでに糖尿病で身体はボロボロだったようです。翌年には病気を理由に剃髪して浄土宗を信仰するお坊さんとなり仏の力で長生きしようと企みます。

法成寺跡(消失して現存しません)にお金と人をどんどん投入します。最後は「死にたくない死にたくない死にたくない」とお経を唱えながら死んでいったのだとか。そんな栄光と没落を書いたのが作者不詳の「栄花物語」だったりしますね。(すみません読んだことはありません)。

そう、月は新月から満月になり、そしてまた新月に戻っていくのです。道長も栄華から病気に侵され最後は仏にすがりながら苦しんで亡くなったようです。

そんな法成寺も平安時代から鎌倉時代に入る頃には火事で消失してしまい、再興することもなかったようです。栄枯盛衰諸行無常ですね。

そんな時代から1000年たった平成最後の年、秋の十五夜の月はこちらです。

明日は十六夜。明日も晴れますように。

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