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年末によく見る占い小冊子「高島易断」の歴史といろいろ

高島易断の歴史を調べてみたら面白いことがわかった

年末のある日、新聞の集金に来られた方が一冊の本を置いて帰られました。「高島易断」です。

これ昔からあるよなあ~一白なんとかとか二黒土星とか(僕が二黒土星だからそれだけ覚えてる)自分のページをパラパラと読みます。

そうか、来年はあんまりよくないのか、などと読み終わります。そういえばこれってどういう歴史があるのだろう、古いのか実は最近のものなのか。

そもそも高島易断ってなんなんだろう、と思いツラツラと調べ始めます。では創始者の高島嘉右衛門さんの話から調べてわかったことを書いてみたいと思います。

高島易断は江戸時代に生まれた

200年ほど前、江戸の材木商の息子として生まれた高島嘉右衛門さんは幼少から天才で、当時の横浜開港に合わせて横浜でも商売を始め大儲け。

しかし外国人に小判を売った罪などで掴まって牢屋に入れられてしまったそうです。そして牢屋の中で見つけた易経(中国に昔からある細い竹をつかった占い)の本を見つけ暗記するほどに読みふけります。

当時の江戸伝馬町の牢獄は極悪人ほど巾をきかす想像を絶するひどい所でしたが、生れつき頑強な体質と鍛えた体力と気力で悪党どもを制圧して、三か月ほどで牢内でも安全な地位となりました。

高島易断 神聖館 高島易の歴史

それ、安全な地位というより悪党のボスになっただけな気がしますが。悪党どもを制圧してしまうって只者じゃないような気が。

罪を許されて出所した嘉右衛門さんは横浜で材木商を始めるとともに、易経を活かして(?)事業をつぎつぎと当てていきます。

大火事を予見して材木を仕入れたり、人の死を占ったり。ガス灯をつけたり鉄道敷設といった大事業も。横浜の高島町はこの嘉右衛門さんの名前から来ているのだそうです。

そんな事業家としての嘉右衛門さん。しかし後継者の高島嘉兵衛さんがあっさり破産してしまったようで、お金の使い方があまりにワイルドだったのかもしれません。

商売は終わったが占いは残った

占いはあくまでも学問だと言っていた嘉右衛門さんにも5人のお弟子さんがいたようで、その中から2人有名な弟子がでてきます。1人は渡米し、もう1人は正統派の後継者として日本で活躍します。

高島易断は四代目の頃に少々混乱があったそうで分派がいくつかできてしまいます。高島易断という名前を高めて高島神社なるものを作ったり、海外まで活躍を広めたものの、内部分裂でたくさんの分派をつくってしまう元になってしまったようです(僕が今読んでるのも分派さんの作られたものみたい)※諸説ありです

占いって西洋東洋いろいろありますし、僕にとって都合の良いものだけ受け入れて「ラッキーだ」と思うだけのものだけど、暦と一緒にして生活に密着してるのは高島易断くらいかもしれません。「ラッキーアイテムはところてん」みたいなめざまし占いはある意味密着してるのですが現実味がないかな。

占いそのものを商売とすることを戒めていたとされ、皇典講究所で講演した『神道実用論』の中にそれを表していると言われている一文がある。

「其名巳(すで)に『うらなひ』(不売)と云ふが故に、決して金銀等の礼謝を受けず、実に神易を以て神明に通信するを本分の職務とするときは、始めて神官の名称にも副(かな)ひ、人の信用浅からざるべし。」

高島嘉右衛門 - Wikipedia

きっとこの嘉右衛門さんはピュアに占いに没頭してたいたのでしょう。その後後継者とかが尾ひれをつけたというかなんというか・・・仏教の分派に似ていますね。

※高島易断が嫌いとか好きという決め付けはありません。ただの好奇心、興味から書いた記事ですのであしからず。

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