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蓮如上人の「白骨の御文」を現代語訳してみました

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法事で耳にするあの話の真意とは

大人になると会社の関係や親戚などの葬儀に参列することが増えるものです。以前大きな浄土真宗のお寺にお通夜でお伺いしたのですが、最後にお坊さんが分厚い本をうやうやしく風呂敷から取り出して本を朗読するわけです。

なんだか難しい言葉に節のようなものをつけて歌うように読んでおられたのですが、突然はっきりと「白骨(はっこつ)」と言うので目が覚めました。白骨!?

お経なのにいきなり白骨が、とか言うのびっくりするのです。何度か一度きちんと意味を理解してみようと思ってネットで見てたら・・・原文のままは結構難しい。せっかくなので文学部の知識を活かして(?)現代語にしてみました。そして出来上がった文章を眺めてみると「意外といいコト言ってるな」という事になったのでご紹介です。

この言葉は本願寺中興の祖と言われる蓮如さん(1415年 - 1499年)。浄土真宗を興したとされる親鸞さんの直系でありながら衰退していた本願寺派、大谷派を再興したとされている方。教えを「御文(おふみ)」「御文章(ごぶんしょう)」と呼ばれた手紙にしたため広めたとされています。蓮如の孫にあたる円如が5帖80通にまとめたものを「五帖御文」といい、その中の五帖十六通に収められているのが「白骨の御文」と呼ばれるもの。

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「白骨の御文」

あのね。
人生の移り変わりをじっくりと考えると、生まれてから死ぬまでの間というのは幻のようにあっという間なのです。だってこの世に1万歳も生きた人がいるなんて聞いたことないでしょう?

一生なんてあっという間に過ぎていくんですよ。百歳にもなって元気ピンピンでい続けられる人なんているわけがないでしょう。

死ぬのは自分が先なのか、他の人が先なのか、それも今日なのか明日なのかもわからないし、早く亡くなる人も他の人より長生きする人もいるけど、とりあえず死ぬ人というのはもう数えられないくらいいるわけです。

もしかすると朝はピンク色の血色の良い元気な人が夕方には死んでしまって白骨になってしまうかもしれないのが人の世の中なわけです。

誰にでも来る死がいざやってくると、目は二度と開かず呼吸は止まってしまい、ツヤツヤの元気な顔も桃のようなみずみずしさのあるカラダも失ってしまうのです。

そうなってしまえば親兄弟親戚みんながどんなに集まって嘆き悲しんでもどうしようもないのです。弔おうと火葬にしてしまえば白骨になってしまうだけなんです。

そのはかない人の人生は年寄りが先とか若いのが後で死ぬとか決まっていないものだから、どうかみなさんもいつかやってくる死を意識して今を精一杯生きて欲しいのです。

最後は阿弥陀様を信じてお念仏しましょうね、ということで終わるんですけど、この諸行無常、誰にでもいつか来る死というものがすごくヒシヒシと伝わるのです。ああそうか、人っていつか突然死ぬんだな、じゃあいつ来るかわからないからこそ、せめて今を一生懸命生きなくては、と感じるのです。

死んでいない今だからこそ、精一杯生きないといけないなと思います。僕の周りでも沢山の方が亡くなっていきます。大好きだった祖父、祖母、おじやおば。もしかすると、いやいつか父と母が亡くなる日がくるかもしれません。

そのときに泣きながら「もっと親孝行するんだった」なんて言っても仕方がないのです。ただ、ひたすら幸いなことに今私の父と母は元気に近所で過ごしています。

それがありがたいと思うとともに、育ててもらった感謝の気持ちと少しづつでも何か「感謝の気持ち」だけは伝え続けたいと思っています。

勝手な現代訳ですし「ここが違う」「解釈が違う」という部分があるかもしれません。そこはどうか「私はこう思うな」と胸に留めていただいて、それぞれの思う「白骨の御文」であっていただければと思います。そのきっかけになれればすごく嬉しいです。

宗教論争をするつもりはありませんし解釈の違いがあっても当然だと思います。「そりゃ原文で読むのが当たり前だ」とかおっしゃる意見もごもっともです。でもただ「意味が分かりにくい文を惰性で聞かされる」より「聞いている時にああそういえば誰かがこんな意味だったって説明してたな」のほうがいいのではないか、と思ったのです。「後生の一大事」についても考証はしたつもりです。

追伸 原文を載せるのを失念しておりました。

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。

されば、いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず。一生すぎやすし。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。

されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。

さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり。されば、人間の儚き事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。

五木寛之「親鸞」完結編を読み終わりました。

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