あれこれやそれこれ

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情報は受け取る側に選択権がある

臭いものには蓋が出来るし、まぶたは閉じられる

情報化社会なんて言葉は僕が子供の頃からある言葉で、今調べてみると1969年にお役所勤めしていた林雄二郎という方が「情報化社会」という本を書いてから認知されたとかいうことですね。

要するに「情報」というものがモノと同等の価値があるものとみなされ、社会というもの自体に情報というものが組み込まれて回るようになったものが情報化社会。

毎日すっかりお世話になってるインターネットももちろん情報の1つですよね。それも正しい、正しくない、正しく見せかけたい、正しくないとみせかけたい、とか多種多様な情報が入り乱れてグチャグチャ。

「車はトヨタ、家電は松下(Panasonic)、新聞は朝日新聞、テレビニュースはNHKのみ」みたいな人はもうさすがに絶滅したとは思うんですけど(いや実家に近い人達が住んでるw)それらですら今は危うい。

トヨタは実際に自分がトヨタ系ディーラーで働いていたことがあるので、販売用マニュアル含め丁寧さがすごくあったし、松下電器に勤めていて大好きだった部長さんはしきりに「松下はな、passion、Mission、Actionが大事だ」と涙を流しながら語っていた(そういうところが大好きだった。話めっちゃ長くて仕事にならなかったけど)し、語尾がやたら長くて日本語としておかしすぎるアナウンスを繰り返す民放に比べるとNHKのアナウンサーというのは実に言葉が美しい。

いや、それが正しいとか正しくないとかいう話ではなく、それを受け取る側の問題ですよという話です。

わざわざうんこを見つけにインターネットを駆け回る人

以前書いた記事。

犬のうんこが道端に落ちていたとします。すると人たちの反応はこんなことが多いです。

  • チラッと見て「あ、うんこ落ちてるわ」とスルーする人
  • チラッと見て「あかんやんこんなところに」と掃除してしまう人
  • チラッと見て「うんこ落ちてるよ」と周りに教える人
  • チラッと見て「うんこ落ちてる!なんで落ちてるんだ!けしからん!うんこと落としたままいなくなるなんて信じられない、うんこ落としたやつは滅びろ!」と怒りまくる人

まぁいろんな人が出てくるわけです。これはそのまま「自分にとってネガティブな情報」と変換することができますよね(こら、そこの男子は”うんこ好き”とか言わない)

ネガティブな情報をどう自分の心の中で処理するかってきっと大事ですよね。

  • チラッと見てスルー出来る人
  • ポジティブな形まで自分で変えていける人
  • スルーはできないけど情報として拡散するだけの人
  • 自分の受けたネガティブをネットに対して倍返しする人

自分が一番最後の人なのにこんなこと書いてスイマセン。

SNSを持っているからこその選択肢

例えば僕はブログ(3つ)、Facebook(実名、Facebookページ)、Twitter、Instagram、TumblrなどのSNSでアカウントを持っていて自由に使っています。(すいません、マストドンっていうのがちょっと前に流行ったんですけど僕のアカウント知りませんか?(自分ですら忘れる)

それらはもちろん他の人の考えや写真、いろんなものを受け取ることが出来るんですが、やはりそれらの中にもいろんな情報が隠れています。

  • 自分にポジティブに響いたものは拡散する
  • 興味がないものはスルーする
  • 自分にネガティブに響いたものは臨機応変

でもこの自分に降り掛かってきた情報に対してのアクションで自分の立ち位置って変わると思いませんか?

なんかポジティブの固まりみたいなのの集まりがFacebookだし、匿名なのをいいことに内蔵からひねり出すような言葉が溢れているのが2ちゃんねるだったり、視覚的な部分で気付かされることが多いInstagramにひねりが強いTumblr(最近全然やってませんけど)とか。

こんな情報を自分は受け取りました、それに対してのアクションはこうです、っていうのを明確にすることでその人となりが分かるのがSNSなのかなと思うわけです。

いつもポジティブな事しか書いていないFacebookの人はどうも胡散臭いし(笑)、かといってネガティブな事ばっかりグダグダ書かれるのもその人のキャラがね。

ブログのように「思っていることや感じてること」が伝わるものもあるし、画像だけポーンと載せられて「あとはそっちの感性にお任せ」みたいなものもあるし。

発信側と受け取り側の感性は違う

受け取り方は様々だし、絶対に勘違いするべきでないのは「100%発信した側の思いがそのまま受け取り側に伝わるわけではない」ということ。

発信する側がスイカを1つポンと置いたとするじゃないですか。でも受け取る側って

  •  丸い
  • スイカだ
  • 緑と黒のバランスが変だ
  • へたが長いスイカだな
  • おいしいかな
  • うわぁスイカ嫌いなんだよ(すいません私)

いろんな考えが出てくるわけです。感性って違うじゃないですか人それぞれ。だから発信する側は「いろんな風に受け取られるかもしれないよ」というのは考えておいたほうがいいと思いますし、受け取る側も「自分の考え方が絶対じゃないよね」とは思っておいたほうがいいと思うわけです。

で、その感性の違いを表現するのがブログ、ということですね。

僕は嫌いなものを嫌いとなるべく言うようにしているし(そうやると嫌いな人が近寄ってこなくなるので)嫌いな人にまで好かれたくないものですから。でも嫌いだからこそ気になって見ちゃう人もいて、「ああ、またうんこ見て文句言っちゃってるわ自分」と気づくときもあるんですけどね。

SNSなんて特に嫌になれば読者を解除してしまえばいいし、Twitterだったらミュートしてしまって「フォローはしてるけどツイートはタイムラインに流れてこない」風にしてしまってもいいと思うんです。

たとえば今なんとかコイン、流行ってるじゃないですか。熱心な人は熱心だし興味がない人は全然興味が無いんです。

僕はこうやって立場を明確にしたい人。だからといってなんちゃらコインをやってる人が嫌いとか株ばっかりやってる人が嫌いなんじゃないんです。自分が自分の受け取る情報としてそれらがいらないという立場を明確にしただけで。

ああ、サキちゃんはそういうの嫌いなのね、じゃあそういう話振らないようにしよう、ってなるじゃないですか。ただそれだけの話。

そんな社会をこれからも生きていく

でもね。そうやって取捨選択をし続けるのがこの情報化社会の中で生きていくことなのかなって思ったりもします。読者になっているブログを全部みないといけないから読者をあんまり増やしたくないんですっていうブロガーさんとか、Twitterのタイムラインが追いきれなくなるからフォローする人は絞ってますなんて言う人もいらっしゃいますけど、結局情報ってこうやって取捨選択しているうちに自然と「自分の好きなもの」が集まってきたりします。

ほらAmazonのトップページ見たら分かるでしょ?

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いや確かにとある記事書くのにドローンの良さそうなやつ探したけど。五明祐子さん好きだからこないだMarisol買ったけど。ほら、情報ってこういうふうに集まってくるわけですよ。

だからもっと浅く広くでもいいと思うんですよ?