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あれこれやそれこれ

雑記系ブログのさらなる高みを目指すブログ

子供を叱る、叱らないの判断をどこでするか

あやふやな判断は子供を惑わせますよ

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親になると誰もが迷うことだと思うのが、「叱る」「叱らない」の判断。このシーンでは叱るべきなのか、それとも叱らないでいるべきなのか。叱ってばかりだと萎縮してしまうかもしれない、叱らないと奔放すぎる子供になってしまいそうな気がする。

いつの間にやら私の子供は高校生と中学生になっていました。判断の1つの方法として参考になるかもしれないなということで書いてみようと思います。意外と「上司と部下」でも使えるかもしれませんよ。

大事なのは「いつでも同じ判断」をすること

子供を叱る基準というのは同じであることが大事だと思います。子供が同じ行動をしているのにある日は「叱る」違う日は「叱らない」となると、子供にとって「この行動は良いことなのか悪いことなのか」の判断をいつまでたってもつけることが出来ません。特に感情にムラがあると自覚のある方は特に注意です。

言葉を理解できない子供というのは親の表情から善悪を判断することになります。何かをした時に親が嬉しそうだと子供は「ああ、やっていいことなんだ、喜ばれることなんだ」と思いますし、怖い顔をすると「ああこれはダメなんだ、怒られることなんだ」と感じることになります。悲しい顔をするとどうなるかもわかりますよね。

良いことをすると「褒める」、ダメなことをすると「叱る」この繰り返しで小さな子供であっても善悪は教えることが出来ますし、その善悪の基準を親がきちんと守ることが子供の判断基準を作ることにもつながります。親がその基準をきちんと作らず思うがままに感情を子供にぶつけ続けるとどうなるかわかりますか?

「親の顔色をうかがう子供」が出来上がります。そんな子供かわいそうだと思いませんか?

家だから叱らない、外だから叱る もよくない

これも同じ判断の1つなんですが、場所の問題。先ほどとあるところで「子供を叱るかどうか」でやり取りをしていたんですが、叱る叱らないの判断の1つに「家の外なら叱るか、家の中なら叱るか」というのがあったんです。

「なにあの親」という目で見られるかもしれない、だから街中なら叱ろうと考えるかもしれませんし、誰も見ていない家の中だから叱らないでおこうという考えもできるかもしれませんが、子供にはそんな「親の世間体とか家の内外」などは関係がありません。これも先ほどの話と同じで「同じことをしているのに外にいたら怒られるのに家の中なら怒られない」というようなあやふやな基準を作ることは子供の善悪にあやふやな要素を作ります。

レストランで食事をしていて叱らなくてはいけない行儀の悪い時は叱りますが、同じことを家の中でしたのであれば叱るべきでしょう。それの繰り返しが「この行為はやってはいけないことなんだ」という子供の理解につながります。

何のために叱るのか

私達の子供たちは一人で社会に出たとしても問題がないであろう立ち居振る舞いは出来ていると思います。学力の良い悪いではなく、人間として他の人から話を聞き、自分の話をしてコミュニケーションをきちんと取れていると思います。まだ大人になるまでには何年かありますが。最近はすっかり叱ることがほとんどありません。

幼児期は正直なところ厳しすぎると思ったことも度々ありますが、高校生や中学生になった子供たちはそれなりに「小さい頃に厳しくされた理由」を理解もしているようです。

しかしそれらは私達夫婦だけの成果ではなく、今まで関わってくれた幼稚園の先生から始まるたくさんの方々や親戚、私や妻の両親のいろんな支えがあってのことで、それぞれの大人がそれぞれの基準を持ちながらうちの子供たちに向き合ってくれた結果なのではないかと思っています。

「たくさんの人のたくさんの考え方に触れ合うことで身につく、感じることもある」ということです。それはそれで子供たちの心のなかに基準を作っていくことにもつながります。たくさんの考え方をみせられると矛盾していることに気づくこともありますが、「世の中にはいろんな考え方がある」と理解することも必要なことがあります。我慢して受け入れなくてはいけないこともあると理解しなくてはいけない場合もあるでしょう。

タイトルに対しての答えをやっと書くので「遅いわ」と思われるかもしれませんが、「叱る」というのは「子供が独り立ちした時に恥ずかしい思いをさせない」という目的を考えて判断するのが良いと思います。これをたまに勘違いして「親が恥ずかしいから叱る」と考えてしまう親もいるかもしれませんがこれは間違いでしょう。

  • 友達のおもちゃをなぜ奪ってはいけないのか
  • なぜ片付けをしなくてはいけないのか
  • なぜ約束をまもらなくてはいけないのか

それができないことで「いつかどこかで子供が恥ずかしい思いをする」からです。産まれたばかりで大変だ大変だと思っている子育てもたった20年ほどで終わってしまいます。そこから先は子供たちは自分たちで考え行動しなくてはいけません。いつまでも親が関わっていくことは出来ないんですよね。その20年ほどの間に親としてきちんとした考え方は伝えてあげたい、これが子育てかなと思うわけです。

仕事でも同じかもしれません

部下を叱るとき「自分=上司の体面」のために叱ったことはありませんか?お前のミスのせいで上司の私が怒られるんだ、的な。それは部下のために叱っているのではなくて「自分の体面を維持したいための言い訳」をしているにすぎません。

本当に部下のために叱るのであればそれは「部下を成長させたいがため」のものであるべきだし、自分がどんなに嫌われようが叱らなくてはいけない時は叱らなくてはいけないんですよね。

今日はボーナスが入ったから機嫌がいいし叱らない、とか今日は部長にガミガミ言われて気分が悪いから部下の一挙一投足が気に入らないとかでは無いんですよね。そのへん、やっぱり育児と似ているかもしれません。

育児書のページも眺めてみた

僕が激推しする育児書、「育児の百科」。この中で参考になりそうなページが無いかをちょっと見てみました。月齢で10ヶ月のところにこんなページがあります。

「してはいけないことは制止する」というタイトル。

赤ちゃんにとって、善悪の区別は、母親のよろこぶ顔とこわい顔である。10ヶ月すぎの赤ちゃんに、善悪はわかるはずがないと思って、何をしても、おこらないで見過ごしておくのはよくない。

中略

赤ちゃんの「おいた」にこわい顔をして制止するのはいいが、体罰をくわえるのは、よくない。体罰は母親を子どもから遠ざけ、共感をなくしてしまう。母親のよろこびを自分のよろこびとする共感があるから、母親の喜ぶ善をするのだ。

 「育児の百科」405ページ~406ページより一部引用

 ただの育児書なら「叱ってはいけない」ですませるようなこともこの本はこまかく優しく説明してくれる良書。本当に良書。大きな本屋さんなら絶対にあるから一度でいいから立ち読みしてほしい。ウチのブログから買わなくてもいいから(笑)

www.nubatamanon.com

 

でも最後はひとそれぞれ

これはあくまでもウチの場合です。厳しい僕に対して妻は裏でこっそり子供のサポートをしてくれていますし、ウチの父母はビックリするほど人間が出来ていて愛情深く孫を支えてくれています(これは本当に感謝しています)これを読んだからといって周りの環境が違えば叱る基準も変わってきますし、父親と母親での立場などの違いもあるでしょう。一人で父親、母親を両方する必要がある方もおられるかもしれません。

しかし、親が親としての基準をきちんと持つことは大事だと思いますし、日によって勘定によって揺れるのは良くないことだなとは思います。

さて、いつかどこかで誰かの参考になれば幸いです。