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あれこれやそれこれ

雑記系ブログのさらなる高みを目指すブログ

自分を「納得」させるためのいろんなこと

☆雑感☆ ☆雑感☆-真面目な話

おばあさんとお地蔵さん

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車を運転していて信号待ちで止まったとき、お地蔵さんに手を合わせているおばあさんがいました。なんだか毎日やってるような感じでしばらく手を合わせたあと頭を下げてまた歩き始めました。

ああ、散歩の途中にこうやってお地蔵さんに挨拶したはるんやね。

本日の長い記事を書く発端はここから始まったのでした(ごめん、下書きしてないし今から書くんだけどw)

 

それを見て「おばあさんはどうしてお地蔵さんに手を合わせるのかな」と考えたんですが、それが結局いろんな事とつながってるなぁって。それはまとめると「納得」なんじゃないかということ。すいません、飛躍しすぎて意味わかんないですよね。

納得したいからやってるいろんなこと

お地蔵さんに手を合わせるのと「納得」がどういう関係があるのか、というのを他の例も交えながらなんとなく書いてみます。

グラウンドに礼、プールに礼、道場に礼、トラックに礼など

部活動とくに運動部を経験した人ならわかるかもしれませんが、練習が始まるときや終わるとき、それぞれの部活動を行った場所に対して礼をしていませんでしたか?

べつにプールに守護霊がいるわけじゃなく、トラックに魔物が住んでいる対策でもなく、道場に座敷わらしがいるから礼をするわけでなく。

その場所を怪我なく自己の鍛錬に使えること、試合会場であれば自分の練習の成果を発揮できるよう、自分を納得させたいから礼をするのではないかということです。礼をして練習すると身も入るし、精神を高めて練習するから怪我もしにくくなる。礼をしたから大丈夫、今日も頑張って練習しようという納得というか。

厄除け参り

男性と女性で年齢は違いますが厄年ってありますよね。

厄年 - Wikipedia

数え年齢で男性の25歳、41歳、61歳、女性の19歳、33歳、37歳は厄年だから気をつけよう、特に男性の41歳と女性の33歳を大厄と言って前後合わせて3年間は前厄、本厄、後厄なので気をつけろとか。

別にその年齢になったとたんに何かが急に変わるわけでなく、男性の41歳といえば精神的肉体的にピークを越えてやや疲れが見え始めたり、仕事の重責でストレスを貯めやすかったりするような時期だし、女性なら結婚して子供が生まれて一段落しているか子育て真っ最中のしんどいところ。

体調を崩したり、無理がたたって寝込んだり、疲れで集中力がちょっと欠けて怪我なんてすると「ほら厄年だからだよ」と親御さんとか周りの人が言い出したりなんかして。

で、その厄年を無事にやり過ごすためのものが「厄除け参り」。神社などにもよりますが、お祓いをしてくれたり御札をくれたり。ウチも両親があまりにもうるさかったので(笑)本厄の年には厄除け参りを近所の有名な神社に行きました。

行ってお守りをもらっただけで「本厄の悪いことが起きないような気がする」だけの何かを得られた気がするんですよね。ああこれで厄除けできたんだ大丈夫だって。それも一つの「納得」ではないかと思うんです。

ちなみに、後厄の時は厄除け参りに行かなかったら腕を骨折したのは私。

初詣、お墓参り

初詣とかお墓参りもいくことで自分を納得させているような気がします。正月になってもこたつに入ってダラダラしているより、きちんと身を正して初詣に行き自分の想いをあらわにしてみる。

あっ、初詣ってこうなんですよ。「~できますように」とか「~したいです」とか「~したいんだけど神様お願い♡」とかを願う場所じゃないんです。「今年は結婚します。だからそのために毎日料理を一つかならず作ります」とか「●●高校に合格します。そのために一日■時間勉強します」などと決意を示しにいくのが初詣。それと合わせて「去年は一年健康に過ごせました」とか「怪我なく過ごせました」ことに対するお礼をあわせて。

お墓参りもそう。ご先祖様に自分がいまここにいることの感謝とか近況をお墓の前で報告することで「ご先祖様にきちんと挨拶出来た、報告もできた」と納得しているんじゃないかと思うんですよね。だから自分は大丈夫、安心だって。

でも「納得」という言葉がすっきりしない

こうして書いてきたんですが、「納得」という言葉になんだかすっきりしていない自分もいます。「心の拠り所」というか「安心」というか「自分を守る何か」というか。納得という言葉ではなんだかぴったりと言い当てられてない。

昔こんな喩え話を書いたことがあるんです。

自分は野球選手で内野を守っています。打席に相手チームの4番打者が入ります。背も大きく筋骨隆々でとんでもない打球を飛ばしそうな予感がします。自分のチームのピッチャーが振りかぶってボールを投げます。鋭いスイングがボールをジャストミート!

打球はライナーとなって自分が守っているところに飛んできます。打球の勢いと方向を考えると飛びついたらもしかしたら捕球できるかもしれない。でももしかしたらグローブで弾いたボールがまったく違う方向に転がってあらぬ進塁を許してしまうかもしれない。

「取れなかったらどうしよう、弾いてしまったらどうしよう」という不安。しかしそれを打ち消す存在を思い出します。それは自分の後ろで守ってくれてる外野選手の存在。一緒に練習をしてきて万全の守備をしてくれるであろう安心感。「そうだ、自分がもし精一杯プレーして失敗したとしても外野の選手が絶対フォローしてくれるはずだ」そう思ってライナーに飛びつきグローブを精一杯開いてボールに手を伸ばします。するとボールはきちんとグローブの中に収まりバッターアウト。

この時の外野選手というのが「初詣」であり「厄除け参り」であり「お地蔵さんに手を合わせる」ことであり「グラウンドに礼をする」だと思うんですよ。そういうものをしてきたからこそ踏み出せる力が湧くというか。そしてそのボールに手を伸ばしている時の信頼感とか安心感とかチャレンジ魂みたいなのが「納得」と書いたものなんですけどね。

で、なんかちょうどいい言葉ありませんか?(最後になって急に振るなと笑)