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あれこれやそれこれ

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両成敗が止まらないから鎌倉時代の御成敗式目で噂の二人を裁いてみる

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さあ、日本史の勉強をしましょっか。

もうとかく噂になる「両成敗が止まらない」2人。「サンキューふみはる」とか「いわゆる一つのですね、フレンドでプッシュスルーする予定!笑」とかやりとりを公開されてまぁ大変なわけですよね。

そしてこんなタイミングに合わせてゲスの極み乙女の出したアルバムが「両成敗」ってまさにもうネタのようになってますけど、彼の方はあんまり成敗されてへんし(まぁ興味ない)

「両成敗~両成敗~♪ 両成敗~両成敗~♪」と歌ってるうちに思い出したのが

御成敗式目(1232年)

習ったでしょ?中学校の歴史でも習ったはず。鎌倉時代に出来た法律で武家のための法律として江戸時代までも模範とされたものだ、と。

せっかく両成敗から御成敗式目を思い出したのなら、ついでにもう少し勉強してみるのとついでに「御成敗式目であの2人は裁けるのか」を検証してみたいと思います。

 

十七条憲法から律令、格式への流れ

少し眠いかもしれませんが、御成敗式目に触れる前に日本の法律の流れを政治と絡めて見ていきます。これがないとせっかくの日本史の勉強がもったいないでしょ?すぐ終わりますから。

十七条憲法

聖徳太子が604年に作ったとされる日本初の憲法と言われています。聖徳太子がそもそも実在したかも謎と言われてますし、十七条憲法もホンマにあったん?と言われてはいますが、社会的背景を考えると「当時望まれたであろう条文」であったとは考えられます。

まず、周辺国では魏呉蜀の三国時代(184~280)から普、南北朝時代(439~589)を隋が終わらせ統一、勢力を高句麗まで拡大しようとしたところ。600年に始まった遣隋使などで「隋って強えーぜ、やっべえ」ということがわかり、日本も国として団結しなくては!という焦りが出てきた。

で、「じゃあ政治的に国を一つにまとめるような指針を作ろうじゃないか」と聖徳太子がまとめたのが「十七条憲法」ということ。

www.shoto9taishi.com

罰則も無いし、みんな仲良くね、役人は真面目に働こうね、といいながらも天皇の下での政治で国家をまとめようという趣旨で作られてますよね。そうして国家としての律令政治が出来上がっていきます。

律令の時代

律令といえば「大宝律令」(701年)が有名ですが、律令というのは「律」と「令」の二つの言葉でできています。

「律」とは律するの言葉の意味どおり、犯罪と罰を決めたもの
「令」とは役所の仕事や役人の仕事の取り決め

天智天皇の近江令が最初と言われていますが、字のごとく「令」のみ、その後飛鳥浄御原令と続き、大宝律令が律令を両方合わせたものとして701年に完成します。

www2.nhk.or.jp

しかし大宝律令もいざやってみると修正が必要な箇所などがどんどん出てきたので弘仁格式という名前で修正などの編纂がされていきます。それをしたのが藤原冬嗣、ほら名前なんとなく覚えてません?

格式の時代

つづく平安時代の間にも律令の補助的な法令として格式が3回編纂されます。格式も「格」と「式」の二つの言葉からできていて

「格」律令の補助的に決めていったこと
「式」律令を実施するときの細かな決まり事

律令と格式についてはこの文章が一番わかりやすい。

律令制度は本来、律・令・格・式によって運用される。根本法典である律(刑法に相当)と令(行政法・民法に相当)は改正せず、必要があれば格を出して改正・追加し、細かな施行細則は式によって定めた。

格式 - Wikipedia

 そう、こうして飛鳥時代から平安時代までずっと役人による律令と格式で政治は安定してきたんですが、平安時代の中頃、743年の墾田永年私財法で「開墾したら全部自分のにしていいからね」という法律で勢力を拡大する農民や豪族が武装し武士という人たちが発生。武士の台頭が始まり鎌倉時代へと進んでいきます。

ごめん、やっと御成敗式目だ

起きてますか?お待たせしました。そろそろ御成敗式目が出てきます。役人の力より武士の台頭で平安時代が終わり鎌倉時代が始まるところから。

貴族から武士へ(荘園ってなあに・小学生向け)

もうね、このページが最高。小学生向けとうたってるけど大人にもわかりやすい。このページにも出てきますけど、鎌倉幕府は「武士の武士による武士のための政府」なんです。

将軍である頼朝の家来になった武士は御家人(ごけにん)と呼ばれ,「ご恩」と「奉公」(ほうこう)の関係で結ばれていました.武士にとって最も大切なことは一族が栄えて平和に暮らしていくことです.そのためには,1.まず「自分の支配している土地」を将軍に認めてもらうことです.そうすれば,他人が攻めてきた時に幕府の軍隊が守ってくれます.また,境界あらそいがあっても公平に裁判にかけられます.2.次に「新しい領地をもらう」ことです.新しい領地とは農地のことです.農地が増えれば収入が増えます.戦の働き具合によってそのほうびが決められますから,当時の武士はできるだけ目立つように戦いました.こうして土地を守ってくれたりくれたりすることを「ご恩」といい,将軍のために戦うことや幕府の役所ではたらくことを「奉公」といいました.

貴族から武士へ(荘園ってなあに・小学生向け)

 引用が長すぎてすみません。

幕府による政治というのは土地が中心となり、土地を巡る「ご恩」と「奉公」の世界。しかしそのことでの訴訟や跡継ぎ問題、自分の土地の農民の扱い方など律令とは異なる法律が必要になってきました。

で!1232年に北条泰時が中心となって編纂したのが御成敗式目とよばれる35条の法律で、以後51条に増やされました。そして鎌倉、室町、戦国、江戸時代と法律の模範になったんです。

「御成敗式目」解説

さて、御成敗式目で両成敗の人たちを裁いてみようか

2400字ほど余談が続きましたが、やっと記事のメイン部分です。

1232年に書かれた御成敗式目の原文を全部現代語訳すると明日の朝になってしまうので、先ほどのページから現代語訳を拝借させていただきました。

御成敗式目 貞永式目 現代語訳全文

さてさて・・・こんなのはどうだろう。

12条 悪口の罪

 争いの元である悪口はこれを禁止する。重大な悪口は流罪とし、軽い場合でも牢に入れる。また、裁判中に相手の悪口をいった者は直ちにその者の負けとする。また、裁判の理由が無いのに訴えた場合はその者の領地を没収し領地がない場合は流罪とする。

判決。「不倫じゃありません!」も「略奪愛ではありません!」も「センテンススプリング!」も虚偽である可能性が高いが悪口ではないので無罪とする。

15条 偽造文書の罪

偽(いつわり)の書類を作った者は所領を没収する。領地を持たない者は流罪とする。庶民の場合は顔に焼き印を押す。頼まれて偽造文書を作った者も同罪とする。また、裁判中に嘘(うそ)をついた者は神社や寺の修理を命じ、それができない者は追放とする。

判決。LINEは書類ではないので無罪だが限りなく偽造文書に近いうえに卒論は未提出。中間をとって「神社の掃除」くらいしてみてはどうか。

28条 いつわりの訴えをしてはならないこと

言葉たくみに人をだますことの罪は大変に重い。所領を望んで嘘の訴えをおこした者はその者の領地を没収する。領地がない場合は遠流(おんる)とする。また役職が欲しいために嘘をついた者はその職に就(つ)くことはできない。

 判決。「お付き合いということはなく、友人関係であることは間違いありません」の嘘はたくさんのCMメーカーへの重罪。さらに役職ならぬ「卒論提出後のわがまま」に再婚が含まれる場合は再婚は認められない可能性が。限りなく有罪。

第34条:「人妻と密懐(びっかい)することの禁止」

人妻と密通をした御家人は所領の半分を没収する。所領がない場合は遠流にする。相手方の人妻も同じく所領の半分を没収し、ない場合は遠流とする。また、道路上で女性を拉致(らち)することを禁止する。それを行った場合、御家人の場合は100日間の停職とし、郎従以下の一般武士は頼朝公からの先例にしたがい片側の髪をそる。僧侶の場合はその時々の状況に応じて罰を決める。

 あ、立場が逆か(笑)無罪。

最後に

両成敗から御成敗式目に繋がったダジャレで2時間、3000字以上も記事を書いてるのは私。一区切りついたらこの記事は真面目な「御成敗式目の研究」などという記事に変わると思います(笑)

政治がお役所の政治から武士の台頭、武家政治に移るにしたがって、法律も柔らかい表記の17条憲法から律令格式、社会に合わせた御成敗式目と移っていくのが面白い。これが戦国時代になると各大名によって分国法(家法)として続いていきますわな。

信玄家法、今川仮名目録、塵芥集など、ああもう日本史が止まらん。こういう流れで日本史を眺めると教科書には見えない魅力があると思うんですけどいかがでしょう。あ、いちおうこれも貼っとく。

両成敗(通常盤)

両成敗(通常盤)

 

 ベッキーの抜けた穴、ちゃくちゃくとみんなで埋めてるよね。この子はまさにそう。

 

honeysuckle.hatenablog.jp