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あれこれやそれこれ

雑記系ブログのさらなる高みを目指すブログ

酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aの「絶歌」の感想と引用

☆お気に入り☆-本、漫画
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読むべきではないです。なのでアマゾンのリンクは貼りません。
一部引用という形で紹介させていただこうと思いますが、引用することをためらうシーンも多々あります。ましてやご遺族の方には見せられるものではないと思いました。

文章を書く人というのはある程度は自分の文章に惚れ込んでいるとは思うのですが、ひどすぎる。罪の意識がない。淡々と目の前で行われたことを傍観するかのような文章。普通の人ならこうは書けないと思います。またはゴーストライターが書いたのか?
あまりに自分がやったことへの意識が他人行儀で腹立たしさばかり湧いてきます。

一連の犯行に及んでいるあいだ、僕は、常に怯え、焦り、混乱していた。心の中ではパニックを起こし泣き叫んでいた。僕は冷酷非情なモンスターでも、完全無欠の殺人マシーンでもなかった。憐れなほど必死だった。

引用 『絶歌』元少年A 34ページより

被害者の子はこんな思いの中殺されたのですか?普通に育っていけば成人し結婚し子供が生まれ、親御さんにも楽しい穏やかな時間が訪れていたであろうはずなのに!!

そういう人を世間では冷酷非情なモンスターといい、完全無欠の殺人マシーンというのでしょう。少年であろうが成人であろうが一生罪を償い続けなければならないと思うのです。彼の場合は「誰かに自分の存在を認めさせたい」という欲求が強いのだから、誰の目にも触れることなく、ただひたすらに罪を償わせたら良かったのだと思います。

いったい少年法ってなんなんでしょう。年齢で更生できるとかできないって判断できるんでしょうか。自分の子供が被害者のような事になったらそれでも出版するのでしょうか。

自分がされたら嫌なことを自分がしてはいけない、そんなコメントを頂きましたがまさにそうです。興味とか儲けとかそういうことでやってはいけないこともあるんです。続編を望む声が出版社から出ているとか。営利のために犠牲者の親族の方をさらに被害者にするような事をメディアはするべきではないと思います。

昔こんな事件があった、二度と起こしてはいけない、それだけで終わらせたいです。そして読み終わったらこの本は捨てることにします。

僕は歩くドリルだ。息を吐くたび誰かを傷つけ、息を吸うたび己が摩耗し、絶えず他人や自分から何かを削りとって生きている。そのようにしか呼吸できないのだ。触れたものに孔を穿つことだけが、存在理由であるドリルのように。

引用 上記に同じ。82ページより

 人を傷つけることを肯定しないで欲しい。人を傷つけないと自分の存在価値を測れないと公言するのなら、今も社会には出て来るべきじゃないし、ましてや本なんて書くべきじゃないと思います。

 大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。
「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」 同282ページ。

殺人犯自身が苦しむから人を殺してはいけないのですか?殺された人やそのご両親を始め友達やすべての関わった人は関係がないのですか?人を殺めるということは、その人の人生を断つということ。そんなことをできる権利のある人は世界中どこにもいないんです。自分の人生は何があっても自分のもの、そうあるべきだと思うんです。

 

 

読み終わりました。
「被害者のご家族の皆様へ」と題した長いあとがき。

少年院から出たあと彼は仕事を転々とします。関わりの薄いアルバイトなどで生計をたてつつ、自立した生活を送っています。結局彼は周りの人と深くコミュニケーションを取ることができず、自ら逃げ出してしまっていたようです。そんな中で自分に芽生えている「生への執着」が逆に殺人をしたことへの後悔につながったのだと。

自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴みとる手段がありませんでした。

294ページ 

 そして自己都合を優先させて被害者の方の気持ちは繰り返し謝罪をしながらも推し量ることはしない。結局何が目的でこの本が書かれたのかもわからなくなりました。