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あれこれやそれこれ

雑記系ブログのさらなる高みを目指すブログ

神様はいますか?仏様はいますか?そしてそれらに化ける欲望の影

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お化けと同じくらい存在がよくわからないのが神様と仏様。
見たことないけど初詣とか行くからいるんじゃない?、と片付けるのもどうかと思う。かといってフラれた時とか受験に失敗した時とか大事なパソコンのデータがいとも簡単に旅立ってしまった時とかには「神様も仏様も絶対におらん!!」と突っ伏して泣くのも一度や二度じゃない。

人間ってずるい動物なんです。ご都合主義の固まりなんです。ホントは神様とか仏様は目に見えないしカタチとして存在はしないんですよ。でも心の中に神様や仏様がいると都合がいいんです。いいことがあったら神様ありがとう、とか自分のおかげだな、でもいいんですけど、悪いことが起きても自分が悪いって思いたくないもんなんです。

そして人間の代わりにちょっと背負い込んでくれるキャラ、神とか仏ができたんじゃないかなあ。そうそう、悪魔もどっちかとうとそっちのために生まれたんじゃないかな。

だから悪魔の仕業、だの神も仏もないとか言うんです。いるつもりなのにいないと思うからこそ「神も仏もない」って言うんですもん。

宗教の起こりってジンクスみたいなものからかな、と思ってるんです。たとえば原始人が狩りに行くとき、たまたま大きな石を触ってから出かけたら猪を狩ることができた。するとその石はジンクスの元であり、ある意味神なんです。その石の効能を説明する人がお坊さん、神主さん、牧師さんでしょ。その石が汚れないように囲うとお寺とか教会とかなんです。

この石を触ったら猪が狩れる、もお賽銭をあげたら受験に合格する、も僕にしたら同じですもん。ただ信じる気持ちを増幅させてくれるのが宗教なのかなと思うんです。

先日こんな記事を書きました。

honeysuckle.hatenablog.jp

 

 神様や仏様が幽霊見たいものだと思っている人に「神様っているの?」「仏様っているの?」と聞かれれば「いない」んです。でも心のなかに神様や仏様がいると思っていたほうが人間って幸せになれるんですよ。
(↑個人的にここ大事)

だから300万円だしてツボを買うと幸せになる、とか修行したら空中を飛べるとかは信じられないんです。お金を出したら幸せになれるなら億万長者はもっとみんな幸せそうだもの。空中を飛べるようになったって幸せにはなれないでしょ?あれは力技だし(笑)

追伸
こんな話を本職のお坊さんに読んでもらいました。するとお返事を頂いたのがこちら。

「自らの思いを満たす」ために現れる神や仏なら「欲望の影」だろね。そういうのが意外と「本物っぽい」顔をしているから気をつけないとね。

 そう、まさにそこなんです。自己都合で現れたり消えたりするのは欲望の影。うまいこと言うなぁ本職は(笑)でも心にストンと落ちました。

仏教セミナーとかヨガ教室とか壺とかお祈りとかいろんなカタチで近寄ってくる「欲望の影」には気をつけないといけませんね。